美大を卒業し、フリーのフォトグラファーとして、我武者羅に走っていた20代。

仕事に没頭し、寝ることも食べることも二の次だった。

まともに恋愛する余裕もないまま、結婚し、すれ違い、別れ、もう自分には人を愛することなんて、子供でも生まれない限りあり得ないとすら思っていた。

そんな私に突然できた子供。

仕事を続けられるかの不安、不健康極まりない生活からの体調不良。

自分の身体に自由が利かず、息子が生まれてしばらくは、子育ての大変さに振り回され、今から思えば、本当につらい時期だった。

人からみれば、赤ちゃんがいる生活は「幸せ」に思える。しかし、自分の存在も含め、生命の存在に歓びを感じることができなかった私の脳みそからは、幸せホルモンは出てこなかった。

2008年。息子が1歳になったある日。ふと目に止まった映画のタイトル「ジプシー・キャラバン」。自由な暮らしを連想させるその響きに、学生時代に経験した、あてない旅やヒッピーのスクワットでの生活を重ね合わせ、ノスタルジックな気分になった。

しかし、映画の内容は思っていたものとは、全く違い、ジプシーを取り巻く過酷な社会事情が描かれていた。

長年に渡る「差別」や「迫害」といった現実に、「自由に生きることは、社会から避難されるべきことなのだろうか?」という疑問が湧いてきた。

不慣れな子育ての不自由さから、自由になりたいというエモーションが強まり、ジプシーへ吸い寄せられるように、2週間後のエアチケットを取った。映画に出てきた、ジプシーのミュージシャンが暮らすという、ルーマニアのクレジャニ村を目指して。

1歳の息子と夫を日本に残して、独りルーマニアに降り立った。

たった1週間しかない時間で、ジプシーの何が分かるのか…。それでも、本を読んだり、映像を見たりするより、自分の肌で感じることの大きさは計り知れないということだけは、分かっていた。

勢いだけで、情報の無いまま来てしまったルーマニア。EU加盟国と言えども、旧共産主義国の名残が色濃く、空港は小さくて薄暗かった。白タクの客引きをかき分けながら、まるでインドにいるかのような気分になった。

首都のブカレストは、大通りから一歩入れば、まるで廃墟。最も先進的なカフェと教えられたのは、マクドナルドだった。エリートビジネスマンや上品なカップル、白いドレスを着た少女、資本主義の「勝ち組」が集う店だった。

さらに、バスの切符を買うのに、1、2、3(ワン、ツー、スリー)といった初歩的な英語すら通じないことにカルチャーショックを受ける。今まで訪れたヨーロッパの国々は、最低限の英語で何とかコミュニケーションとれた経験から、ルーマニア語の準備を全くしていなかったのだ。そしてこのことは、後に大きな問題となった。

英語が通じる数少ないルーマニア人に、ジプシーの写真を取りに行くというと、皆嫌そうに顔をしかめて、

「Do you like Gypsy?」

と聞いてくる。やはり、彼らにとってジプシーは、気持ちの良い存在ではないらしく、何だか切ない気持ちになる。

ブカレストから、クレジャニ村への移動は、レンタカーを借りて、ナビを頼りに行けばいいと考えていたのも甘かった。

レンタカーは左ハンドルのマニュアルしかない。ただでさえ、車の運転は久しぶりな上に、土地勘もなく、右側通行。左ハンドルのマニュアルは、ハードル高い。しかし、レンタカー屋のお兄さんは、何でオートマチックの必要があるのかと不思議がる。「マニュアルで問題なく動くのに…」と…。

インドに行くならいざしらず、ヨーロッパで日本の常識が通じないことへの心の準備がなく、素直に受け入れられない。

しかしここまで来て引き下がるわけにも行かず、結局クラッチのつながりが悪く、アクセルを踏んでもなかなかスピードが出ないマニュアル車で出発した。今のようにスマホでGoogleMAPが見れる時代ではない。情報量の乏しいルーマニアでは、大きな国土MAPしか入手できず、大まかな方向しかわからない。セットしてもらったナビだけがを頼りだった…。

ルーマニアは、当時EUに加盟したばかりで、急速に新しい道がどんどんできていて、わたしが借りたナビは、新しい道路事情に対応していなかった。ナビの指示通りに曲がると、一方通行で前から来る車をぶつかりそうになる。ナビにはない道があり、ナビにあるはずの道がない。挙句の果てには階段を行けと言ってくる。

突然ガタンと大きな音がして、視界が変わった。道が途中でなくなり、車ごと穴に落ちていた。周囲に人もいなかったので、自力でなんとか這い上がれたが、もはや生きた心地がしない。数リットルと思われるほどの冷や汗をかきながら、クレジャニ村あたりと思われる所で車を止めた。30分と言われていたのに、半日かかった。

クレジャニ村は、映画の馬車が通るのんびりした雰囲気とは違い、大きくて近代的な村だった。門の閉まった住宅やアパートが淡々と並んでいる味気ない村にしか見えなかった。

「ジプシー」という呼び名は失礼かもしれないという前情報から、ルーマニア人とジプシーが混在するこの村で、ルーマニア語の準備もなく、どうやってジプシーと接触しようか…考えながら車を降りたときに、前から歩いてきた少女と目が合った。浅黒い肌に、栗色の髪、おおきな目の可愛い子だ。

思わず微笑むと、彼女は人懐っこい表情で、私に何か聞きながら寄ってきた。ルーマニア語は全く分からなかったが、映画に出てきた「タラフ・ドゥ・ハイドゥークス」というジプシーバンド名を伝えてみると、彼女は嬉しそうにこっちこっちと手招きする。ついていくと、おんぼろのアパートからサングラスをかけたおじさんが出てきた。

「私のパパよ」

その少女は、映画に出てきたタラフ・ドゥ・ハイドゥークスのメンバーの娘だったのだ。

予想以上の試練の後には、予想以上のミラクルがある。

この世は陰と陽で構成されていることをリアルに感じられるのが、旅の面白さだ。

そこからさらに、自分の思考をはるかに超える出来事が否応なく起こり始めた。まるで地球上の異次元空間をジェットコースターで駆け抜けるような経験だった。

2, クレジャニ村